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八代目、物思いにふける

八木さわ商店に行ったよ

八代目、物思いにふける 】 | 2008年3月11日

子どもの感性はすごいね。毎日の作業で当たり前だと思ってきたことが、特にこどもたちの目には新鮮に映る。
第2回「しょうゆ感想文コンクール」(主催:日本醤油協会)で、地元・陸前高田市立長部小学校3年生の小泉利沙さんが、全国1,504点の中から審査委員 特別賞を受賞しました。3年生の生徒全員が、「しょうゆができるまで」の出前授業を受けて、八木澤商店のしょうゆ工場を見学し、感想文を書いてくれたも の。
うれしいね。

受賞作文を紹介します。

 

「八木さわ商店に行ったよ」

長部小学校3年  小泉 利沙

写真右:担任 熊倉 桜子先生
右から2番目:利沙さん
右から3番目:長部小学校校長
左:岩手県味噌醤油業協同組合事務局長
   兼 しょうゆもの知り博士 吉田 隆一氏)

わたしは、八木さわ商店に行ってきました。八木さわ商店でいろいろなことを教えてもらいました。
 まず、はじめにしょう油やみそについて勉強しました。しょう油には三百しゅるいのにおいがあるそうです。八木さわ商店の人がしょう油をこがしたとき、わ たしはおもちをやいたときのにおいくらいしか思いつかなかったけれど、三百しゅるいもにおいがあるなんてすごいと思いました。あと、しょう油のげんりょう は大豆、小麦、塩だそうです。小麦もしょう油に入っているなんて知りませんでした。大豆にはお肉と同じたんぱくしつというえいようが入っているそうです。 小麦にはでんぷんが入っているそうです。わたしは、大豆や小麦にえいようが入っているとはじめて知りました。
 八木さわ商店の人が、
 「大豆は、市内でとれた大豆を使っています。」と言っていました。まさか、高田市内の大豆を使っているなんて知らなかったのでおどろきました。また、小麦も岩手でとれた物を使っているそうです。
 ほかにも、工場は二百年前にできたそうです。かべがりっぱな昔風のくら作りのたて物でした。古かったけどとても二百年前にできた工場とは思えません。とてもがんじょうだなと思いました。
 八木さわ商店の人に、
 「何かしつ問はありませんか。」
 と言われて、だれかが、
 「何人はたらいていますか。」
と聞きました。そしたら、工場には10人、つけもの工場には20人いることが分かりました。他にもはんばいに行く人は6人で、じむしょには6人いて全員で42人いるそうです。しょう油の他にもつけもの工場が分かったし、たくさんの人がはたらいているんだなと思いました。
 こうして、大豆はなっとうやみそ、しょう油などいろいろな食品にすがたをかえていることが分かりました。むしたり、目に見えない生き物の力をかりて食べるほうほうも知ることができました。これからも大豆のことを調べていきたいです。

国語の教科書に、大豆も小麦も輸入しているとの文があり、地元の大豆をつかっていることに驚いたんだね。
 あぁ・・・子どもが素直に感動してくれていることに感動し、自給率を上げなくちゃ、と悩む僕。利沙さんの担任の熊倉先生(写真右)は、子どもの感性・才 能を引き出すのがうまいとお聞きしました。教科書の授業だけではない、実際にふれて子どもたちがそれぞれ何かを感じる授業を大切にしているみたいです。素 敵な先生だね。
 利沙さんが賞をいただいたから、というわけではないけれど、僕たち一層気を引きしめておいしいものづくりに励んでいきます。
 利沙さん、熊倉先生、ほんとうにありがとうございます。

六ヶ所村ラプソディー その後

八代目、物思いにふける 】 | 2007年1月31日
 六ヶ所村のことを書いたのが、4月のことだったんだね。9ヶ月も経っちゃった。筆不精はパソコンになっても変わらないや。ごめんなさい。きちんと報告しなくちゃね。

 「六ヶ所村ラプソディー」の映画上映会を地元で開催して、大成功でした。原発賛成、反対、どちらからも丁寧に取材されて いて、鎌仲ひとみ監督は原発反対だけど、そのことを主張していないの。淡々と進行していく映画で、だから余計にすごみがあるっていうか、終わったあとは 「うわぁ・・・こうしちゃいられない」って思った。

 子どもたちの将来を思うと、いい機会じゃなかったけど、彼女と知り合えて本当によかったと思ってる。60歳を過ぎて、自 分の生き方はこうだ、とか、君はこういう生き方をしたほうがいい、とかちょっとえらぶったりして、自分を見失うときがある。でも、彼女は自分の生き方を人 に押し付けない。えらぶったりしない。話をして、気持ちのいい女性だなぁって思った。僕のほうがはるかに年上だけど、時々、こんな生き方っていいなぁ、と 思う人に出会うんだ。彼女とは生涯お付き合いしたいと思ったね。

 そうそう、打ち上げは豪華だったよ、食事が。すごいんだから。
三陸は海産物の質が素晴らしくて有名。そのなかでも、すごいのがでた。養殖棚の一番低いところに吊るしてある、牡蠣。水温が低くてあまり育たないらしいん だけど、逆にいうと、じっくり育ってあまりにも美味しいので、売り物にできないとまでいわれる牡蠣。5万個に100個の確立でしかできないんだとか。その ときは酔っ払って勢いづいちゃって「放射能海に流したら、こんなうまいもの喰えなくなるんだぞ!」って世の中の誰かに毒づきながら食べちゃった。

 僕は食べることが好き。だからおいしいものが口にはいらなくなることは、この上ない不幸。おいしいものを食べているとき は、幸せでしょ。世界中のいろんな料理がいつでもどこでも食べられるとか、そんな意味じゃなくて、豊かな土地や海、川で育ったものを、旬においしく食べる ことを未来にも残していかないと。
4月に僕たちが大騒ぎした六ヶ所村のことが、得意先でも上映会をしたいという引き合いを、今になっていただくようになった。時間をかけてでも、やらなくちゃ。

六ヶ所村ラプソディー

八代目、物思いにふける 】 | 2006年4月13日

 「原発(原子力発電所・原子力)」って見たりきいたりしただけで、イヤだなぁ、って思うのは僕だけじゃないはず。僕が「原発がイヤ」だったのは、たぶん動物的な、生理的本能が大部分を占めていたと思う。その本能が怒りにかわったのは、昨日のこと。

 昨日「六ヶ所村ラプソディー」というドキュメンタリー映画を観た。
 六ヶ所再処理工場は、日本各地の原発からでる使用済み核燃料からプルトニウムとウランを抽出するための施設。国と電力会社は、このプルトニウムを再び燃 料に加工し、原発で使う計画を立てているという。でも、そのプルトニウムの使い道は現在なく、発電はまったく行われていない。
 「核燃料サイクル事業」は原子力委員会が「原子力政策大綱」として政府に提出し、2005年10月に閣議決定された国策。でも、資源エネルギー庁の官僚 は言っている。 「核燃料サイクル事業は国策だが、その中のひとつの事業である再処理事業に関しては、民間企業の事業と認識している」と。
 ってことは、放射性廃棄物の処理は他の産業廃棄物とおんなじ処理で、っていうことでしょう。
 再処理工場から海へ放出される廃液は、原子力発電所からでる冷却水のようなものじゃない。放射能そのもの。それに、濃度に対しても規制がない。どれだけ の放射能が放出され、どんな影響があるのかがわからない。いま、六ヶ所再処理工場で行われていることは、それを確認するための「試験」ということになる。
 その放射能が、ガス状で空へ、廃液で三陸の海に放出される。目の前にある、美しいふるさとの自慢である海が、放射能に汚れようとしている。それは、いずれこの地域だけの問題ではなくなるのだけど・・・。

 漁業のひとたちはどうするんだ、そんな放射能で汚れた食物を食べた人たちはどうするんだ・・・っていう怒りはもちろんだ けど、僕が本当に怒っているのは、人間の能力の限界を超えた原子力を、科学技術だといって推し進めて「安心、安全、クリーンエネルギー」といってはばから ない人たちがいること。そんな人たちがいたら、原発(問題)は永遠に解決しない。

 放射能は自然にかえらない。生態系の循環から外れるものをゴミとして放出している。
悲しい。放射能の後始末は誰にも、科学技術を用いてもどうすることもできないのに。

 六ヶ所村ラプソディーを観て、自分の「無知」を恨んだ。そしてなぜか「終焉」という言葉が頭をよぎった。
美しいふるさとの、三陸の海の、日本の、世界の、地球の、「終焉」。世界は原発から手を引こうとしているのに、日本だけが強行推進国。核燃料サイクル事業は国策だけど、再処理は責任をもちません、と平気で言う国。
そんな国が「食育」「地産地消」もおなじ机上で言うんだから。放射能にまみれた空と海と土で、なにを食育しろってハナシだよね。

 原発は行き過ぎたような気がする。行き過ぎた原子力行政、根拠のない、行き過ぎた原子力エネルギー安心・安全論。石油が 枯渇し、代替エネルギーは原子力だ、といつの間にか「原発は正義」となってしまった今、石油は枯渇しない。原発を動かすのにものすごい量の石油がいる。石 油が枯渇したら原発も止まる。代替エネルギーでもなんでもない。

 動物的本能でイヤだといっていたけれど、僕の第六感はにぶっていなかったようだ。再処理工場ができてしまってから、操業が始まってしまってからでも僕にもできることはあるはず。
 どうして反対なのか、もう少し勉強して、孫たちに素晴らしい人生が送れる環境を整えてあげよう。そして孫たちが大きくなったら「じいちゃん、あん時はかっこよかった」って言われたい。
 こうでなけりゃ、僕の人生はかっこよく終われない。

あの時代はよかった

八代目、物思いにふける 】 | 2006年4月 6日

 八木澤商店も、来年2007年で200年になります。
全国には創業200年以上の老舗はたくさんあるから、歴史なんてなんの自慢にもならないけど、創業当時の世界はどうだったのかというと、けっこう激動の時代だったりするんだよね。
八木澤商店の創業は1807年。そこから18年遡ったアメリカでは、ジョージ・ワシントンが初代大統領に就任しているし、フランスでは4年前の1803年にナポレオン・ボナパルトが皇帝に即位している。すごいよね。
 そんな中、東北の片田舎で酒造蔵としてはじまり、醤油・味噌屋となり、今ではその醤油・味噌に加えて、つゆとかタレ漬物をつくるようにもなりました。

 使用人を抱えて仕事をしていた時代もあるし、今もウチの会社の経理を担当している番頭さんは、高校卒業と同時にやってきて、10年くらい住み込みで働いていたんだ。風呂があって、仕事が終わると、みんなで風呂にはいっていたときもあるよ。
 今考えると、いまの時代と自分を否定するようであんまり言いたくないんだけど、「あの時はいい時代だったよなぁ」。
 なにがよかったんだろう。いまのほうが欲しいものはなんでも手に入るし、情報伝達もはやい。日本にいたって、世界のどこかの料理が食べたい、となればすぐに食べられるしね。
 家業としての時代はよかった。僕は東京で学生をしていて、カントリー&ウエスタンに狂っていたころ。時代も八木澤商店もいまほど時間に厳しくないし、昭和40年代前半までは、鯨がたくさん捕れて、それだけのためにしょうゆをタンクローリーでめいっぱい運んだんだ。
3500Lタンクで一日なんども。
 しょうゆが売れて売れて、おもしろい時代だった。こせこせしないで、のんびり、どっしりかまえていてもいい時代だったから。
 サンマもとれたなぁ。となりは漁業の町、気仙沼。サンマの缶詰につかうしょうゆも運んだ。「イケイケドンドン」の時代は、忙しかったけど気持ちに余裕があって、エネルギーが満ち溢れてた。

 いま、世の中が忙しい。その文字の通り、「心を亡くしてしまう」ことばかり。世知辛い世の中を生きていくのに疲労感を感じるよね、大人でさえも。こどもが生活習慣病になる世の中。ニュースは昔、こんなにも子どもが関係するいたましい事件てあったっけ?って思うほど。
そしてなにより、僕がいま一番「心を亡くす」ほど、こころを痛めているのは、「六ヶ所村」のこと。日本はこれから、どこへいこうとしているのだろう・・・って毎日気が気じゃない。

 もう少し歳をとって、いまこのときを「あの時代はよかった」と思える日にしたい。そのために、昔カントリー&ウエスタンに狂ったように、いま僕ができることを一生懸命しようと思っている。
 「六ヶ所村」のことはまたあとで。

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